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2010年12月 1日 (水)

愛犬との別れ

11月27日(土)の午後11時20分頃、私の実家で飼っていた愛犬dogが13才で亡くなりましたcrying実家に来てから13年7ヶ月と2日でした。

この日、私は前日から喉と鼻からくる風邪を引いていました。昼から旦那は用事があり、夕方頃まで出掛けていました。結莉奈にミルクを飲ませた後、私は寝ていました。夕方、旦那が帰ってきて、寝ている私を見て「熱あるよ。」って言われました。そのまま、しばらく寝て、夕食の支度をしないといけないと思い、起きて熱を測ると38.7℃ありました。それでも、だいぶ喉の痛みが落ち着いてきていたので起きて、家事をしていました。夕食は、旦那がインスタントラーメンで良いと言うので作り、私もあまり食欲がなかったので、麺類を食べることにしました。

19時過ぎに食べ始めると、家の電話が鳴りました。私の母からでした。電話に出ると母の声は暗く、愛犬の様子が悪く、危険な状態かも。。。という一報でした。11月に入ってから調子が悪くなってきていたことを前から聞いていたし、20日の日に見た時はやせてきてはいたけど、ちゃんと歩いていたのでビックリしました。一報を聞いた時点で私は涙があふれてきてしまいました。電話を切ったあと、旦那が実家に行こうと言ってくれたので、実家に行きました。すると、姉一家も来ていました。義兄も仕事が休みだったので、全員が実家に集まりました。

私たちが行くと、愛犬は既に寝たきり状態で、ちょっと前に嘔吐したようで、息が荒くて辛そうでした。しばらく愛犬を見ていると、だんだん落ち着いてきて、自力で起きようとしました。しかし、上半身を持ち上げるだけで後ろ足は動かない状態。すぐに疲れたようで、バタンとまた横になってしまいました。愛犬のお尻にはオムツが付けられていました。便が軟便で、自分でトイレに行くことも出来ない上、自力で便を出すことが出来なくなってきていました。

21時前に、父が仕事から帰ってきました。父が帰ってくる時間に、また上半身を持ち上げて、起きて出迎えようとしていました。でも、やっぱり立ち上がることは出来ず、また横になってしまいました。喉が渇いているだろうということで、父が注射器を使って水を口の中に入れてあげたのですが、飲み込むことが出来ませんでした。

30分ぐらいして、子供達もいるので今日は自宅に帰るようにと母から言われ、みんな帰ることになりました。家に戻り、旦那が翔平と結莉奈をお風呂に入れてくれて、寝かしつけました。

そして23時半頃、私の携帯が鳴りました。母からでした。出ると、涙声で母が「今、逝っちゃった」って言いました。「今日は遅いから明日会いに来てあげて」って言って電話を切りました。すぐに、今度は姉から電話が入り、「今から私だけ実家に行くけど、一緒に行く?」って聞いてくれたので、お願いして、私と姉は実家へと駆け付けました。

最後は、けいれんを起こして亡くなったとのこと。寝ているようで、呼んだら起きてきそうな顔をしていました。母は、ショックで泣き続けていました。ちょっと落ち着いたところで、火葬をどうするかの話をすると、母は「このまま、剥製にしたいweep」って言い出し、姉が「それはダメだよ。ちゃんと火葬して供養してあげないと可愛そうangry」って母を説得していました。

異変が起きてから何度か獣医さんに連絡を取ったのですが、学会で往診に行くことが出来ないと言われ、とりあえず落ち着いてきていたので様子だけ話、明日往診に来てくれるということでした。しかし、助からなかったので、もう一度先生に電話をして、亡くなったことを伝え、火葬をどこですればいいか教えてもらいました。獣医師会が推薦するお寺を教えてくれたので、そこですることに決まりました。

母の希望で、立ち会い葬儀になり、29日の月曜日に子供達は連れて行けないので、両親と姉と私と結莉奈の5人で葬儀に参列してきました。人間と違い、遺骨は小さく、それでも内蔵が悪かっただけなので、骨は立派でした。喉仏がしっかりとした形で残っていたので、骨を家族で拾い、骨壺に入れ、骨箱は持って帰ってきました。

火葬の際、段ボールのような紙の棺だったのですが、中には餌と遊んでいたボール、お花を入れてあげました。母は手紙を入れてました。姉のところは、子供達が一人一人、手紙を書いていたので、それを入れてあげていました。私はあえて何も用意しませんでした。母があとでゆっくりと読ませてもらうということで、小3の甥っ子の手紙だけはコピーを取っていました。甥っ子の手紙を読ませてもらいました。「歌を作ったよ」って愛犬の名前が入った歌の歌詞が書かれていました。しかも2番まであり、歌詞の最後には「1分04秒」って長さまで書かれていて、ちょっと笑えてしまいました。手紙の内容としては、誤字脱字はもちろん多かったのですが、最後にしっかりと感謝の言葉も書かれていて、ちょっと感動してしまいました。

年中の甥は、手紙が書けないので、自分のすきなシールを貼っていました。小1の姪っ子は、特にショックを受けていて、日曜日に死んだ愛犬の姿を見て、姉に「帰りたくない」って言って、ずっと泣いていたそうです。家に戻った後、子供達に手紙を書くように言うと、ようやく落ち着いて手紙を書いたそうです。年中の甥は、お姉ちゃんの泣いている姿を見て、「何で泣いてるの?イイ子にしていたら、病気が治って元気になるのに」って言っていたそうです。年少の翔平もよく分かっていないので、私が言い聞かせても「どこにいるの?」って探していました。

愛犬は、11月に入ってから元気がなく、餌も食べなくなっていました。病院に連れて行くと、腎臓が悪くなっていると言われていました。亡くなる三日前には、違う病院に連れて行き診てもらったそうです。するとかなり悪くて、手のつけようがなかったそうで、それでも先生が「何とかしてあげたい」って他県の病院でCT検査とか出来ることを教えてくれていたそうです。しかし、検査する前に力尽きてしまいました。たった三日間だけの付き合いでしたが、良い先生に診てもらえて、母も喜んでいました。

愛犬との出会いは、13年前の4月下旬でした。母が当時働いていた会社で、同僚の人がお客さんから「いらないからもらってくれ」って勝手に手渡された犬でした。当時、生後1ヶ月ぐらいの子犬でした。みんなで里親捜しをして、毎日どこかの家族に家に行っては翌日また母の働く会社に戻ってきていたそうです。貰い手が見つからなかったら保健所行きだと言う話も出いていました。週末になり、どうしようかと言う話になったところで、母が「私が連れて帰る」って言って自宅に連れて帰ってきました。私が犬を飼いたがっていたことを知っていたのと、可愛そうだったので連れて帰って来ました。

たまたま、その週末は、父が慰安旅行で留守にしていました。父からは、当時同居していた祖父母が動物が苦手だということで、犬は飼えないと言われていました。父が知ったら、絶対に反対することは母も分かっていました。このまま、またたらい回しされて保健所に行くようになるのは避けたかったので、母は父を説得するつもりでした。

父が慰安旅行から戻ってくると、いない間に勝手に連れて帰ってきていたことに激怒していました。「犬は飼えない!返してこい!」って、普段怒ることのない父が口もきかずに怒っている姿を見たのは、私は初めてでした。週明け、母が「お父さんが許してくれないから、会社に連れて行くね」って言って、私は保健所に連れて行かれるのだけはイヤだという思いから、泣いたまま学校に行きました。父が私の泣いている姿を見て、犬を飼うことを許してくれました。父は私が、ちゃんと学校に行ったか心配になったようで、母に学校へ電話して様子を確認して、許しが出たことを直接母から聞きました。

その日の夜から、正式に犬を飼うことになりました。今まで怖がっていたのに、飼うことが決まってから安心したようで、お腹出して寝るようになり、ようやく私たちに慣れてきてくれました。

それからだんだん大きくなり、冬場は私の部屋で私の布団の中に潜って寝たりしてました。私の部屋にはエアコンが付いてなかったので、愛犬が布団の中で寝てくれるので、湯たんぽ代わりではないですが、とっても暖かかったです。夏場は、私の部屋の床で寝転がって寝ていました。初めて犬を飼ったこともあり、分からないことばかり。歯が抜け替わることも知りませんでした。避妊手術をした数日後、抜糸しないといけない糸を自分で噛みきってしまい、獣医さんを驚かせたこともありました。

愛犬がいてくれたことで、しつけ訓練士の資格を取ることも出来ました。教わったことを愛犬で実践してみて、愛犬との接し方も変わりました。困った犬ではありましたが、思い出はたくさんあります。翔平は、愛犬が苦手だったのですが、結莉奈を出産した時から、実家で生活するようになって克服してました。毎晩、母が愛犬の散歩に行く時は翔平もついて行ってました。

結莉奈が大きくなるまでは元気でいてくれると思っていたのに、生まれて2ヶ月で愛犬が他界したことに私もショックでした。里帰りしている間は、とっても元気だったのに。。。

愛犬との思い出を思い出すたびに、涙が止まりません。。。weep将来、愛犬が寝たきりになったりしたら、私が看病してあげるsign03って思っていたのに、赤ちゃんがいる私にはそれが出来ませんでした。色々と後悔もありますが、最後まで元気だという姿を見せようとして、頑張って起きあがり、私に訴えかけるような目で見てくれたことは今でも忘れられません。

母が「うちに来て幸せだったのかな?」って言うので、「保健所行きだったのを我が家が助けてあげたのだから、幸せだったと思うよ」って姉が言ってました。本当に幸せだったのかは分からないけど、そう思ってくれていると嬉しいな~confident

早い命だったけど、辛い思いをこれ以上はさせられなかったので、今はゆっくりと天国で休んで、私たちを見守っていてくれることを願っています。

13年間、本当にありがとう。。。catface

最後まで読んで下さった皆さん、本当にありがとうごさいました。

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コメント

clover みずのさんへ clover

思い出させてしまってゴメンナサイthink
愛犬との思い出は、皆いっぱいありますよね。
私も後悔してるところもたくさんあるけど、もう叶わないし、今はしっかりと供養してあげることが大切だと思ってるよconfident

投稿: さくら | 2010年12月13日 (月) 14時28分

うちも実家で室内犬を飼っていました。
思い出すと今でも泣けてきます…sad
もっとたくさん写真とかとっておけばよかったなぁとかもっといろんなとこにつれてってあげたかったなぁとか後悔がたくさん。
しばらくは悲しみでいっぱいかと思うけど、それはそれで当たり前だし、
忘れることなんてできないのも当然だし。
時間しか解決できないかな。でもきっといい思い出になるよshine


投稿: みずの | 2010年12月11日 (土) 01時18分

clover うららさんへ clover

ありがとうconfident
もう少し長生きすると思っていたから、ショックが大きかったよ。。
私が里帰りしている間、時々震えのような軽いケイレンを起こしていたから気になっていたけど。。。
亡くなる数週間前から食べられるものだけを与えていて、最後の晩餐ではないけど、ステーキも食べたそうだよ。

納骨は、母が七回忌ぐらいまでしないって言ってたよ。今は、寝る時に骨壺を枕元にまで持っていって寝てるそうだよ。
母の思いは強いよ。。

投稿: さくら | 2010年12月 6日 (月) 14時10分

飼い始めてもぅ十三年だったんだね・・・うちは今年の4月に15年と8ケ月で亡くなったよcryingうちは脳に腫瘍が出来てたのか、亡くなる5日前に突然ケイレンを起こして倒れてそのまま病院に連れてったけど、もぉ立つことは無いって言われて、御飯も食べられず、水はスポイトであげてたけど最後の方は全然反応しなくて眠るように亡くなったよcrying
つらすぎて半年ぐらいはやっぱり落ち着かないけど忘れてあげないと成仏出来ないよって周りからよく言われてたよweep
うちも立会葬で百日はウチでお骨預かってたけど、それからはお寺に預けていろんな犬達と一緒の棚に置かせてもらって、たまに会いに行ってお線香あげてるよconfidentcherryblossom

ご冥福をお祈りしていますmaple

投稿: うらら | 2010年12月 3日 (金) 19時25分

clover Sugarさんへ clover

ありがとうございます。犬を飼っているのですね。

しつけ訓練の資格は、最低レベルですけどね。無駄吠えは困りますよね。うちも多かったです。
参考になるか分からないけど、何かあれば相談にのりますdelicious

投稿: さくら | 2010年12月 2日 (木) 20時53分

わんこは残念でした。うちにも困ったちゃんが一匹います。肉球触ると気持ちいいのでお気に入りの遊びの一つです。しつけ訓練士の資格をお持ちとか、今度相談させてもらってもいいですか。無駄吠えが多くて....

投稿: Sugar | 2010年12月 2日 (木) 07時45分

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