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2011年3月22日 (火)

東日本大震災について

今更ですが、3月11日(金)午後2時46分に起きた東日本大震災について書きたいと思います。

まず、震災で被災された方々、亡くなられた方々にお見舞いとお悔やみを申し上げます。

大震災から10日が過ぎました。私の親戚・従姉妹も被災しました。仙台市内にいるのですが、皆無事でした。ただ、物が倒れたりしただけで、大きな被害はありませんでした。

今でも言われ続けてますが、ライフラインはとりあえず電気だけは回復しましたが、水道・ガスは復旧する予定は未定で、今一番困っていることは、ガソリンと言ってました。ガソリンが無いので車で出掛けることが出来ません。かといって、ガソリンを持っていくのは困難なので、早くガソリンスタンドにガソリンが届けられることを祈ることしか出来ません。

大震災が起こった日は、旦那が有休で家に居ました。翔平も幼稚園から帰ってきていたのですが、いつも通り、家に帰る前に、同マンションに住む年長のKちゃん宅で15時頃まで遊んでいるので、その日もKちゃんの家で遊んでいました。

私と旦那は、録画していた番組を見ていて、ちょうど見終えるところで、地震で揺れているのに気づきました。ゆっくりとした揺れが1分以上続き、録画番組を消して地震情報を見ると、東北地方で震度7。その当時はまだ、M7.9ぐらいだと出ていました。

すぐに私は、翔平を迎えに行きました。Kちゃん達は、「机の下に避難した」と言ってました。

翔平を連れて家に戻り、テレビを見ると今度は、大津波警報が出ていると知りました。しかも10m以上だと。。

地震発生から30分ぐらい経ったところで、大津波が町に迫ってきている映像が流れてきました。チャンネルを換えると他の町の映像も出ていました。そして、田畑がある長閑な町に津波がどんどん押し寄せている映像を見て、信じられませんでした。どんどん流れていく映像を見て、「これじゃあ、どれだけ遠くに逃げても、どんどん津波が迫ってきて、にげきれないのでは。。。」と旦那と二人で話ながら、テレビの画面に釘付けでした。

しばらくして旦那が「津波が来る前は、倒壊している家がほとんど無かったよな?」って言いました。確かにあれだけ大きな地震だったのに、倒壊している家はほとんど見かけなかったので、津波でどんどん家が流され、壊されていく映像を見て、震えが止まりませんでした。

時間が経つにつれ、夜には火災も起き、町は津波の勢いで跡形もなくなっているのを見て、恐怖感がしばらく続きました。津波の勢いはこれほどにまでスゴイものだと知らされたのも初めてでした。

どれだけ津波対策をしていても、想定外の津波の高さと勢いに誰もが信じられなかったことでしょう。

地震の大きさもM9.0の国内最大級に訂正され、今度は、福島の原発が大変なことになっていて、毎日テレビに釘付けで、祈ることしかできませんでした。

17年前の阪神大震災の時は、私は中学3年生でした。あのときも学校から帰ってきたら、朝とは違う火災が町を覆い尽くしている映像が流れていて、ビックリしました。

その時より更に、今回の地震は津波での被害が大きかったことに本当にビックリしました。

数日して、今度は、静岡で震度6強の地震が起き、東日本大震災の時とは全く違う揺れ方をして、「東海地震?」って本当に思ってしまい、震えが止まりませんでした。

私が住んでいるところは、今後、東海・東南海・南海地震が起こるだろうと言われているところなので、もし大地震が来たら、ここら辺も大津波で町が飲み込まれることは確実だと思ってます。それを考えると本当に毎日が怖くて仕方がありません。どこにどう逃げようかと考えるばかり。。。

本当に地震だけは、いつ来るか分からないので怖いです。ましてや、赤ちゃんもいるので。

東日本大震災で被災された方々。一刻も早く復旧することを祈っています。。。

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